私は米国に留学して、AA資格(短大相当)を取って帰国後、まがりなりにも25年以上英語を話して書くことで仕事をしてきました。バイリンガルとは言えない能力で(バイリンガルについては後述します)、ここまでやってこられたのも、米国留学中の経験と体験があるからです。
英語を使った仕事をしたい、あるいは仕事に英語を生かしたい、という人には是非とも留学をお勧めしますが、留学したら英語が使えるようになるわけではないことも肝に銘じておくべきです。
英語がうまくなるには、英語に触れるのが一番、だから留学すればめきめき英語力が上がる、と考えるのは浅はかです。私自身、米国では私よりも長く留学しているのにまったく英語が使えるようにならない留学生をたくさん見ました。一方で、留学経験はないのに、流ちょうに英語を操り、仕事に生かしている人もたくさん知っています。
それでも私が留学を薦めるのは、私のように「何かに気づく」きっかけになる可能性が高いからです。私の場合、この「きっかけ」は2度ありました。
このページでは、その一度目について書きたいと思います。それは、米国の大学の授業についていくために必要な英語力が備わっていない大学生予備軍が入れられる英語学校の授業中のことでした。
英語学校に行かされている人は、英語の能力が低いわけですから、当たり前といえば当たり前なんですが、あまり発言しません。特に日本人はまったく発言しない印象があります。元々が日本の授業でも活発に発言しないのが日本の学生ですから、多分に文化的な側面があると思います。
海外であまり発言しない日本人に関して、日本人は文法的な誤りを犯すのが怖くて発言しないと言う人がいます。私も以前はこれが正しいと思っていたのですが、「どうもそうではないのでは?」と思ったのもこの時でした。
その時の授業は、「子供の頃の思い出」について生徒が語るというものでしたが、私は元来「思い出」という形で記憶を呼び起こすタイプではないため、普段から過去の出来事を物語として人に話すことがありません。なので、何も発言せずに黙っていました。そしていつものごとく教室もシーンと静まりかえっています。
すると先生が「後藤、何か言え」と言うのです。私は、日本人には珍しく頻繁に発言する方だったので、何か言うだろうとの期待があったと思いますが、私としては今回ばかりは何も言うことがない。そこで「今、私は、今日の主題についてあなたに言うことが適当だと思われる内容について思い当たらない」というようなことを述べました。
この文章は、日本語で読んでもよく分からないと思いますが、能力の低い生徒が英語で一生懸命言ってるんだから、さらに分かりません。
先生が「何言ってるんだ?」と言うので、再度まったく同じように説明します。すると、先生が「つまり、Do you have nothing to say?」と言うわけです。それで私は「まさにその通り」とはたと膝を打ったという次第です。
この「I have nothing to say.」は、直訳すれば「私は言うことを持たない」ですが、意味的には「言うべきことがない」あるいは意訳すれば「言いたくない」でしょう。「言うべきことがない」という文章の場合、文法的な間違いをおそれる日本人なら、正しく翻訳して「There is not...」(...がない)とやってしまうのは、ある意味当たり前のように思います。
しかし、いかにここで出てくるであろう文章が文法的にあっていても、それは「正しい」英語ではなく、正解は「I have nothing to say.」なのです。あくまで主語は「私」であり、「私」が「言いたくない」のであり、「私」が「言うほどのことはない」のです。(なお、呆れてものが言えない時にもI have nothing to say.は使われます。)
これが記憶する限り、私がはじめて英語表現というものを理解した瞬間でした。もちろん英語を中学高校と6年間も学んできたわけですが、これ以前に私が英語を「理解」したことは一度もなかったのです。
まず英語では、必ず主語があります。そして会話では、受動態は嫌われます。つまりほとんどの文章は、IかYouかHe/SheかTheyか、あるいはItで始まるわけです。これこそが英語表現であり、文法が正しければよい英語ということにはならないのです。この指摘は書籍やTVの英語講座など様々な場所で成されていますので、多くの方もご存知でしょう。
そして、何年間も英語教育を受け、様々な場所で英語と触れている日本人の多くは、実は無意識にこの事実を知っているのです。実際、私も「I have nothing to say.」という言い方は、洋楽や洋画で何度も聞いて知っていました。しかし、それが出てこないと言うことは、知っているけど、理解していなかったと言うことです。
でも、知ってるわけだから、「There is not...」と始めると「何か違う」と感じるのです。そして、何か違うと感じるから、しゃべれない、というのが真実だと思います。
この「Nothing to say」が、英語には英語特有の表現があり、このような英語らしい表現を使うことではじめてスマートな英会話が成立するのだ、と気付いた「きっかけ」でした。
ちなみに、余談ですが「何か違う」と感じても、平気で自分流の英語を話す国の人たちもいます。インドとかフィリピンとかですね。スマートな会話より、自分の考えや主張を相手に伝えることの方が大事というスタンス、つまり英語を道具として使いこなすことを選んだ人達でしょう。多分、学校の授業での教え方が、根本から日本と違うのでしょう。